なぜ鍼灸は、身体の「戻ろうとする力」を邪魔しないのか ――良性(Benign )調節という在り方

鍼灸のはなし

本記事は、Yejiが考える「身体の調節」という働きを、
いくつかの側面から整理していくシリーズの一つです。

症状を無理に変えようとするのではなく、
身体がどのように反応し、整っていくのかを見直す視点を扱っています。


近年、肩こりや腰痛といった身近な症状に対する
鍼灸の「効果」だけでなく、
より幅広い症状や疾患に対する
鍼灸の作用を検討した研究論文が、
数多く発表されるようになってきました。

たとえば、

  • 慢性的な頭痛や片頭痛
  • 顎関節症や顔面の違和感
  • 過敏性腸症候群などの消化器症状
  • 慢性疲労や、原因のはっきりしない体調不良

といった、
明確な炎症や損傷だけでは説明しきれない症状も、
鍼灸研究の対象として取り上げられています。

「そんな症状も、鍼灸の対象になるの?」
と感じる方も、少なくないかもしれません。

一方で、従来の鍼灸研究では、
「この症状に対して、どれくらい効果があったか」
といった統計学的な結果や、
「細胞や分子のレベルで、何が起きているか」
という現象の記述が主に積み重ねられてきました。

それらは、鍼灸を理解するうえで
とても重要な研究です。
一方で、それだけでは説明しきれない部分も
残されてきました。

たとえば、
なぜ一つの刺激が、
痛みや睡眠、気分といった
複数の側面に同時に影響するのか。
なぜ同じ施術を受けても、
人によって反応の現れ方が違うのか。

こうした「身体全体としての反応」を理解するために、
近年では、
神経・内分泌・免疫といった
身体の調節システム同士のつながりから、
鍼灸の作用を捉え直そうとする考え方が
注目されるようになっています。

Cui ら(2021)は、
そのような視点から、
鍼灸が身体に及ぼす調節作用の特徴を
いくつかの特性として整理しています。

Cui et al. (2021)
Research Progress on the Mechanism of the Acupuncture Regulating Neuro-Endocrine-Immune Network System
Vet Sci. 8(8):149
https://www.mdpi.com/2306-7381/8/8/149

このシリーズでは、
その論文で示されている
鍼灸の特性を手がかりに、
鍼灸の効果を
「効いた・効かなかった」
という一言では捉えきれない理由について、
少しずつ考えてみたいと思います。

ここで紹介する内容は、
効果を保証したり、
治療の受け方を指示したりするものではありません。
あくまで、
私自身が日々の臨床の中で感じてきたことを、
論文で整理されていた言葉に照らしながら、
言葉にしてみる試みです。


これまでの回では、
鍼灸の作用を特徴づけるものとして、

という四つの視点から整理してきました。

いずれも共通しているのは、
鍼灸が身体を一方向に強く変化させる治療ではない
という点です。

Cui ら(2021)は、
これらの特徴を束ねるような性質として、
benign regulation という言葉を用いています。

本記事では、この benign という言葉が
何を意味しているのかを手がかりに、
鍼灸の調節作用の「性格」そのものについて
もう一度立ち止まって考えてみたいと思います。


「良性」という言葉が意味していること

日本語で「良性」と聞くと、
どこか曖昧で、
「良さそう」「悪くなさそう」
といった印象を受けるかもしれません。

しかし、医学用語として使われる
benign という言葉は、
「良い」「望ましい」という評価語ではありません。

たとえば、医学用語として使われる
benign tumor(良性腫瘍) という言葉は、
「良い腫瘍」という意味ではありません。

それは、
周囲の組織を破壊せず、
無制限に広がらず、
身体全体の機能を奪わない、
という存在のしかたを表す言葉です。

存在はしている。
作用もしている。
しかし、
身体の調節システムを
乗っ取ったり、支配したりはしない。

Cui らが用いている benign regulation という言葉も、
この意味合いで理解するのが自然だと思われます。


介入の「強さ」ではなく、「在り方」

ここまで見てきた
質的調節、両方向性調節、全体的・包括的調節といった
鍼灸の特性は、いずれも、

  • 何かを強く起こす
  • 身体を一気に変える

という発想とは距離があります。

むしろ、
身体がこれまでどのように適応してきたか、
どのような仕方で今の状態に落ち着いているか、
そのプロセスを壊さずに扱うための性質だと
言えるかもしれません。

benign regulation とは、
介入の強度を表す言葉ではなく、
介入の在り方そのものを問う概念なのではないか。

何かを「する」ことと、
そこに「在る」ことが、
切り離されずに重なっている。

そのような在り方が、
この言葉には含まれているように思います。

この「良性調節」という考え方は、
特別な操作や強い刺激を加えることを意味しません。

Yejiの施術では、
その時の身体がどの方向に反応しやすいか、
どこまでなら無理なく変化できるか、
そうした反応の条件そのものを丁寧に扱っています。


適応としての症状

ここで、
「調節」や「在り方」という言葉を、
もう少し身体の側から見直してみます。

私たちの身体は、
環境や状況に応じて、
常に何らかの適応を行っています。

疲労、痛み、不眠、動悸、胃腸の不調。
それらはしばしば、
「異常」や「失敗」として語られます。

しかし、
明確な組織損傷や欠乏が見当たらない場合、
そうした症状は
適応の結果として立ち現れている
と捉えることもできます。

無理が続いた。
緊張が長引いた。
安心できない状態が当たり前になった。

その中で、
身体はなんとかバランスを保とうとし、
今のかたちに落ち着いた。

症状とは、
その適応の「痕跡」であり、
同時に、
身体がこれまで生き延びてきた
一つの方法でもあります。


「急ぐ」ことが問題になる理由

このように、
症状を適応の結果として捉えると、
治療の場でよく起こる
もう一つの特徴が見えてきます。

それは、
「できるだけ早く変えたい」
「今の状態を早く終わらせたい」
という欲求です。

私たちはつい、

  • 早く治したい
  • 早く元に戻したい
  • 早く正しい状態にしたい

と考えがちです。

しかし、この「早く」は、
適応してきた身体にとっては、

今の在り方は間違っている
ここに留まっていてはいけない

というメッセージとして
受け取られてしまうことがあります。

すると身体は、
さらに身構え、
防御的な適応を重ね、
かえって調節の柔軟さを
失ってしまうことがあります。

良性調節とは、
この「急がせてしまう圧」
できるだけ介入に持ち込まない
という態度でもあります。


症状と「感じている私」

症状は、
身体のどこかで
勝手に起きている出来事ではありません。

症状を感じているのは、
いつも「私」です。

機能的な症状とは、
適応した身体と、
それを感じ取っている「私」との
関係の中で生じています。

言い換えれば、
症状とは、

適応した「私」からのメッセージ

と捉えることもできるかもしれません。

「私は、ここにいる」
「これ以上は、こうせざるを得なかった」

良性調節とは、
そのメッセージを消してしまうことではなく、
それが発せられ続けなくてもよい状態へと、
身体が移っていくための
余地を残す関わり方なのだと思います。


良性調節という在り方

これまで見てきたように、
鍼灸が示す
質的調節、自己制限的調節、両方向性調節、
全体的・包括的調節といった特性は、

身体を強く変えることよりも、
身体がどのように在ろうとしているかに
寄り添う調節だと整理できます。

一方で、
機能がまだ保たれている状態や、
適応の更新が必要とされる場面では、
介入の在り方そのものが、
経過の現れ方に関わってくることがあります。

良性調節とは、
何かを急いで正すことでも、
症状を力づくで取り除くことでもありません。

作用はする。
しかし、
身体の調節システムを
乗っ取ったり、支配したりはしない。

鍼灸は、
身体が「戻ろうとする力」を
邪魔しないかたちで関わる医療だと、
私たちは考えています。

もし、
「整えようとしてきたけれど、うまくいかなかった」
「変えようとするほど、身体が固くなっていった」
そんな経験があるなら、
この考え方を体験として確かめてみることもできます。

▶ Yeji浦和の施術についてはこちら


鍼灸の「調節」という考え方

Yeji浦和では、鍼灸を「調節」という視点で捉えています。

・良性調節
・両方向性の調節
・自己制限的調節
・包括的調節

それぞれについては、以下の記事で詳しく解説しています。

→ 鍼灸における調節の全体像はこちら


※本記事は、特定の治療効果を保証するものではありません。
鍼灸の作用や身体の調節についての考え方を、臨床経験と研究文献をもとに整理したものです。

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